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イケメンのおかげで人生楽しい

7/18,25 女中たち感想

考えても考えても結論が見つからないので思ったことだけとりあえず残しておきます。前後の繋がりとか全然ないです。


「奥様だった」と姉は言う。
奥様だから殺せなかった、とも取れる。
女中というものは奥様を介して存在する」と奥様は言う。この言葉通りだとして、自分を縛る女中という記号を捨てるために奥様を殺そうとした。後半「逃げるって何処に?」と妹が言うように、多分逃げるという選択肢はなかった。頼る相手も逃げる資金もなく、でもここからは抜け出したい。だから凶行へと至った。けれど結局、いざその時になって女中としての自分が勝ってしまった。この人を殺したら自分は形を無くしてしまう、という不安感。或いはもしかして、奥様のことを本能的に必要としていたのかもしれない。ただその場合は好き嫌いというよりは依存だろうなと思う。

女中」という記号を捨てて、一人の女として生きていくために、「女中」を形成する「奥様」を殺す。けれど姉が殺したのは妹。姉は妹殺しを告白する。その中で「ソランジュ=ルメルシエ」という一個人としての存在を実感しているような節がある。つまり、殺す相手が「奥様」ではなかったとしても彼女は女中の記号を捨てられたということになる。
或いは彼女(ら)が目指したのは、奥様の物理的な死ではないのかもしれない。「女中」という記号から逃れる為に、「奥様」という記号を殺した。「ソランジュだかクレールだかの看病をして、自分の肘掛椅子を愛するように女中を愛する奥様」を殺した。そして「顔を上げて背筋を伸ばして歩くソランジュ=ルメルシエさん」は「女中だった女のことをソランジュ=ルメルシエさんと呼んで、その凶暴性に怯えるような奥様」と対等になる。そうすることで彼女は奥様を殺そうとしたのかもしれない。

どこまでが芝居なのか、も気になった。
ラストシーン、クレールがお茶に口をつけた後。奥様がやってきて二人に腰を折る仕草をするのだけど、まるで主演女優が他の出演者にお辞儀をしているようだった。観客は二時間、三人のおままごとを観ていただけで、あの後三人とも何事も無かったように日常に戻るんじゃないかと。私達が考えたあれこれは全部彼女達のおままごとの世界のこと。

劇中劇において、
姉=女中
妹=奥様
という役割が与えられている。その上での姉妹の会話。

姉「ソランジュはあんたなんか大ッ嫌いだった!」
妹「クレール、クレールよ、ソランジュ」
姉「......あぁ間違えた!クレール!」

「クレールはあんたなんか大ッ嫌いだった」という言い方は、クレール以外の人間の言葉のような印象を受ける。いや、戯曲とかそういうものの性質上そういう言い回しなのかもしれないけど。そうなると、ソランジュが演じているのはソランジュ自身じゃないだろうか。
で、この劇中劇においてソランジュ=ソランジュだと仮定した上でこの言葉を聞くと、クレールは死んでいるのじゃないか。見張りとか、もう動けないレベルでぶっ倒れてるとか、そういうこともあるかもしれない。でもそれなら、「大ッ嫌いだった」という言い方はしないんじゃないかと思う。
クレールはソランジュが仕損じた事を責めて「あたしならやれる」と言う。あんたがやらないならあたしがやる、と言えるまで殺したい相手。私だったらそいつの息絶える瞬間を見てやりたいと思うのだ。クレールがその時点で死んでいたとすると、ラストシーンと繋がってくる。
クレールが死んで終わる物語ではなく、クレールが死んで始まる物語。

目覚ましが鳴って、クレールが「また殺すところまでいけなかった」と言う。
でも相手に馬乗りになって背後から首を絞めるところまでいったら、劇としては「殺すところ」まで辿りついている気がする。だってその先に進んだら、相手が本当に死ぬしかないのに。
そういえば、「奥様を通してあたしを殺そうとしている」みたいな台詞があった。例えば最初から、あの劇中劇の終点が奥様を演じる者が本当に死ぬことだったとして、奥様を通してでなければ殺せなかった。奥様を通してだって殺せなかった。狂ったような世界を一緒に生きている、愛しすぎたひとだから。あの劇は奥様を殺すための予行演習であると同時に、奥様役(これがいつも妹の役だったのか、順番だったのかは不明)を殺すための本当の殺人だった。

まぁそうすると、奥様を殺すために何故自分の片割れを殺さなければいけなかったのかということになるのだけどこれはもうお手挙げだ......




ソランジュ碓井×クレール矢崎

個人的にはこちらのペアが好きだった。光と影、月と太陽、朝と夜のように見えて、本質は同じ。そんな印象が残っている。碓井くんのソランジュは神経質で繊細で身を削るように、自分の世界でしか生きていけない人。矢崎くんのクレールは時々熱に浮かされたようになるけれど、それは現実逃避の手段。現実と向き合わなければならないことを知っていて、そしてソランジュを捨てられない。

もうとにかく、神経のすり減っていくというか、どんどん自分の世界でしか生きられなくなっていく碓井くんから目が離せなかった。ラストの告白場面も本当に美しくて、自分だけの世界にいってしまったソランジュというのがとてもハマっていた。真面目で卑屈で、でも妹に対しては妙に自信家。「あたしの妹に戻って」の言い方が気持ち悪いくらいに甘くて好き。どうでもいいけど顔が小林且弥に似てる。男性らしさとかワイルドさを削ぎ落とした小林且弥って感じである。

矢崎くんのクレールはとてもエネルギッシュで、所謂しっかり者の妹というか、姉を支える妹。碓井くんがどんどん現実から離れていくのに対して、どんどん現実に近くなっていく。二人では生きていけないと分かった時の潔さみたいなものがとても美しい。どんなに詰ってもどんなに憎たらしくても許せなくても、矢崎クレールはずっと碓井ソランジュの妹だったのだと思う。どうでもいいけどわたしは矢崎くんの死ぬ演技が苦手なので(泣くから)今後あんまり死なない方向で頼む。



ソランジュ矢崎×碓井クレール

碓井姉と矢崎妹が本質だけは同じくしているとしたら、こちらはどこまでも似ているように見えて、でも絶対に同じではない二人。

矢崎くんのソランジュにはなんというのかな、執念だとか疑心暗鬼とか世界への警戒心とか、そういうものを見た。多分これはお辞儀をする時に、頭を下げてはいるけど、何かを睨みつけるように目だけがずっと動いてたからだと思う。気味が悪いって言うか蛇みたいだった。碓井くんはもう完全にお辞儀をしてて頭頂部しか見えなかったんだけど、これクレールの時もそうだったのかなぁ。このソランジュは碓井ソランジュのような切迫感というかヒリヒリした緊張感はない代わりに、情けなくて不甲斐なくてどうしようもない。

碓井くんのクレールはソランジュを突き放しているような感じがした。矢崎ソランジュは嫌いで憎たらしくても突き放しきれない、だったのが、碓井くんは最初から割と突き放していた。矢崎クレールはソランジュに近付いたり遠ざかったりするけど、碓井クレールはずっと平行線。伸ばした手が触れ合わない距離をずっと歩いている。そういえば矢崎ソランジュはお茶を飲んだあと僅かでも首が下がったような記憶があるけど、碓井ソランジュは割と首(顔?)が正面のままだった気がした。




女中たち
2015.7.11~7.26
シアタートラム
演出 中屋敷法仁
出演 矢崎広 碓井将大 多岐川裕美